個人的な日記

個人的な日記です。

虫の知らせ

職場のトイレにイエユウレイグモが居た。
糸の様に細い手足を持つ儚い佇まい。

私にとって「イエ」では無いが彼はそこに居を構えると決めたのか、微動だにしなかった。

東京に住んでいた時それは時々現れた。
20代前半、彼氏ではない人間とベッドを共にしていた時ふと天井を見るとそこに居た。

ある時は知り合った男の子と散歩帰り玄関を開けると台所の下にひっそりと佇んでいた。玄関の外には雨蛙がおり、彼は「雨だから蛙って、ベタだなあ」と言って部屋に入った。

そんな私の小さな非日常とフューチャリングする蜘蛛を、用を足しながらぼんやり眺めて思い出に浸っていると、生まれ育った関東を離れて他県に引っ越してから丸2年が経っていたことに気がついた。

根の先端

私は他人から言われた不快な台詞は絶対に忘れない。
端的に言うと「根に持つタイプ」というやつだ。

思い返すと枚挙に遑がないが、1から100までここに書き記すと読み返した時にムカつきそうなので止めておく。ただ1に相当するような出来事をふと思い出したので記すことにする。

幼稚園の時の事。
放課後Mちゃんの家に遊びに行った私は「好きな男の子いる?」と聞かれる。その時は本当にいなかったので、「いないよ。」と答えると「ほんのちょっとでもいいから!強いていえば誰?!」と何回も何回もしつこく聞かれたので(強いていえばという語彙は当時のMちゃんにはなかったと思うがニュアンスとして御理解頂きたい)「う~ん…じゃあKくんかな。」と答えた。

次の日幼稚園でK君とMちゃんと私がエンカウントするとMちゃんがすかさず「この子K君のこと好きなんだって!!」と言おうとしたので髪の毛を引っ掴んで口を抑えて止めようとしたが止めることは出来ず、そこから先生が止めに来るまでの大喧嘩になった。

先生に理由を聞かれても言わなかった。
だってK君に恋愛感情なんか持ってなかったのに、
そこからもう卒園するまで気まずくて話せなくなってしまった。迎えに来た親にも喧嘩のことは報告されたが、Mちゃんへの怒りを抱えたまま黙秘するしかなかった。

自我が芽生え、人間関係とは始まった瞬間に地獄なのだろうか。

・・・

こんな事も覚えている。

3月3日のひな祭り、先生が作ったお雛様とお内裏様の顔はめパネルで男女ペアで1人ずつ写真を撮らなければならなかった。
ペアはくじ引きかなにかで適当に決めてくれれば良いものを、好きな相手を自分で選び、選ばれた側は何回でも異性と写真を撮られるというシステムだった。
そのクラスで大変モテていた男の子がおり、女子の指名は一極集中した。人気と勢いに乗じて私もそのモテ男を指名してさっさと撮影を終わらせたらよかったものの、誰も選べなかった私は最後の1人になってしまった。

早くしなよという空気と、誰でもいいんだよ!などという皆や先生からの声。こういう場合、解決に時は役立たない。グズグズすればするほど解決から遠ざかるものだ。
でももう遅かった。私の頭の中では「コイツと撮るのだけは絶対に嫌だな」というワースト1が居るだけで、他の有象無象から1人を選ぶことがどうしてもできない。

暫く経つと、「俺一緒に撮るよ。」と名乗りをあげた人がいた。
私が選んだワースト1その人だった。先生はホッとしていて嫌だとも言えず、出来上がった写真の私は心底嫌そうな顔だった。今思うとワースト1の彼は凄くいい子だし、思考も行動も顔もワースト1なのは自分自身である。


季節は変わって夏のお泊まり学習。
大学付属の幼稚園だった為教育課程の大学生達がインディアンに扮してやってきた。焚き火を焚いて踊り、最後には打ち上げ花火をあげた。

隣にいた友達は「きれーい!一生わすれなーい!!」と言っていたが、私は市販の打ち上げ花火思ったよりショボイな、と考えていたので(一生なんて絶対覚えてないだろ)と思っていた。

その子は多分忘れてしまっただろうが、一生なんて絶対覚えてないだろと思った自分は何故か25年近く覚えたままでいる。


私はHSPとかいう、特にセンシティブな性格傾向の人間らしいが小さなことをよく覚えているのもHSPの特徴らしいとネットの記事で読んだ。

人間1個体に蓄積されたどうでもいいキャッシュを自動でも手動でもいいから消す方法があればいいのに。

・・・
でも本当のことをいうと、
Mちゃんとの大喧嘩の前の日、自分がK君に対して本当に恋愛感情がなかったのか、或いはMちゃんには絶対言いたくないと思って言わなかったのかどうかは自信がなくハッキリと思い出すことができない。

自分に都合の悪いことは案外すぐ忘れるのかもしれない。

鰯の群れ

何だかよくわからない、息を引き取りかけたしめじと素麺を茹でたものにレトルトのタレを適当にかけたやつ。
よくある適当な午後。やろうと思ったことの1割も出来ていない休日。

網戸の向こう側から脳裏に、過去が襲って来る。
時系列はめちゃくちゃで、泥酔してカラオケで踊ったこと、仕事帰りのラーメン、名前も思い出せない人に零した愚痴、水族館のチンアナゴ
楽しかったか辛かったかなどの主観は置いてきぼりで、足下からせり上がってくる。
もう無い古着屋、前の職場の休憩室、小学校の掃除用具室。誰かの家、引っ越す前のあいつの部屋の配置、前の家にあった陽の入らない出窓。

楽しかったことも過去という要素が付随してなんだか苦味が増す。かと言って今が1番良いともいい難い。
生きてる間の走馬灯はイワシの群れみたい。

洗い物が楽しくなると聞いて宇多田ヒカルの『光』のPVを見た。
付き合いたての恋人との明るい未来を想像するような歌詞なのにどうして、こんなコード進行を思い付くのだろうか。

今どき約束なんて不安にさせるだけかな
今日は美味しいものを食べようよ家族にも紹介するよ
きっと上手くいくよ

なんて言ったらいいか、絶対上手くいかなそうな曲調に聞こえる。でも画面の中でお皿を洗う宇多田ヒカルはとても楽しそうだ。

家族に紹介するような人もストーリーも残念ながら無いけど、言い表せない細かい過去とその情景が身体に纏わりついて動けなくなってしまう。

更新されない思い出のせいなのか。
でもまたこの土地を離れた時にこうしてボーッと過ごした5階からの景色も違う気持ちを伴って再生されるのだろうか。

ミッドサマーと世界の矯正

話題沸騰の映画『MID SOMMER』。
主人公が訪れるスウェーデンの小さなコミューン、
ホルガ村では村の掟に従い様々な宗教行事が行われる。

冒頭で視聴者に強烈な印象を刻みつける「アッテストゥパン」は日本で言う「姥捨て山」。
ホルガ村では人生を季節に例え、0~17歳までが春、18~36歳までが夏、37~54歳までが秋(ちなみにこの秋が労働の季節らしい。私はまだ労働しなくて良いのだ)56~72歳までが冬。それ以降は死に、また新しい命に生まれ変わる。72歳を迎えた老人はアッテストゥパン=すなわち崖から飛び降り、強制的に死を迎える。

村を訪れたアメリカ人達はショックを受け、やめさせるように叫ぶ。
最初に飛んだ女性は見事な降下で顔面から衝撃を受け崩御した。
次に飛んだヴェニスに死すで有名なビョルン・アンドレセン扮する男性の老人は足から落下し、失敗してしまう。

私はこの時のビョルンおじいさん(私の脳内でこう呼んでいるのでこう記載する)の心情を想像することを禁じ得なかった。
まずこのシーンを見た時、「オイ、足からいったぞ!?」と思ったのだが、気持ちも分かるのである。

私はよみうりランドバンジージャンプをした事があるのだが、順番の最後というのはかなりのプレッシャーがある。職場の人と4人で飛んだのだが、私はじゃんけんで負けて最後になってしまった。

上まで登るのはそれなりに喋ったりすることができる為高揚感がある。前から順番に飛んでいき、残された自分。静かで、尋常ではないプレッシャーがある。なぜなら全員成功しているのだから。

これが紐なしで死=成功とされている場では尚更だろう。後には引けないのだ。

何より、かなり怖い。
よみうりランドバンジージャンプは22mだが、正直ナメていた。高所恐怖症という訳ではないし、安全紐も付いている訳だからピョーンと飛べるだろうと。

ジェットコースターなどとは違い、ハーネスと紐以外支えるものは何もない。自分の意思で飛ばなければならない。
そして事前の説明でなるべく膝を曲げずに前傾で顔から倒れるように飛ぶ事を推奨される。
これが、めちゃくちゃ怖いのだ。

なので先に飛んだ女性は相当肝が据わっていると思われる。ホルガ村に生まれ、その人生の始まりと終わりを受け入れ、見守る村人の長兄として失敗は許されない。女性はやはり強い。

かくいう私は怖すぎてビョルン飛びだ。
顔から落ちるとか無理だった。
係員に押され膝ぴょってやって垂直落ち。
でもアッテストゥパンに置いては覚悟が弱い方が痛い思いをするんですね。

私はビョルンおじいさんが根性なしと言っているわけではない。
なぜなら、女性が飛んだあと下でアメリカ人がギャーギャー言い始めるのだ。
「こんな事はやめさせろ!!同じ事をする気だぞ?!?!」

ビョルンおじいさんは今までの人生を振り返ったりしただろうが、きっと下での騒ぎも耳に入ったはずである。

ーもしかしたら、自分は死ぬ必要無いのではないか?ー
―助かる道もあるのでは無いか?―

そんなことを思ったかも知れない。
そして崖の恐怖もあるであろう。

結局足だけを負傷して(めっちゃ痛そう)嘆き悲しむ村民によりハンマーで頭を砕かれてビョルンおじいさんは死を迎える。
わかっちゃいたが救済の余地なんか一ミリも無かったのである。

ただこの一連の流れに私は人間の機微を見た気がした。


以上は主観的に見たアッテストゥパンの感想だが、
視点を変えてアッテストゥパンという行為そのものについて言及しようと思う。


先日、愛知県で新型コロナウイルスに罹患し「ウイルスをバラまいてやる」と発言し感染を拡大させる行為に及んだ男性が死んだ。

昨今の世の中では新型コロナウイルスとかいう疫病が蔓延し社会問題になっている。

私は基本的に無宗教寄りの人間だがこれは世界を統べる大きな力(神と呼ぶのが正しいかはわからないが簡単にいうとそうである)が世界を是正するための処置ではないかと思う節がある。

先述の男性が死んだこと、自らの行いに対する制裁にしか思えないからだ。
(勿論それだけではなく、急激に労働環境が良くなったりだとかそういうことを加味してである)
持病があって助かる見込みがなくそういう行為に及んだのかも知れないが、超高齢者というわけでも無かったし大人しく治療に専念していれば生き延びられたのではないかと思う。勿論そんな奴に生き延びて欲しいなどとは思わないが、この正しい・正しくないの行い、それに伴う制裁。これに既視感がある。そう、ホルガ村だ。

私のこの考えがかなり危険思想なのは自覚している。
だがホルガ村が非常に分かりやすく簡潔にルールを設定したこの世界の縮図に思えて仕方ない。

大多数の人間にとっての「正義」
争いのない世界。
崖から飛ぶのは怖い。

温故

温故知新でなければならない。
古きをたずね、新しきを知るが理想であると先人は説いたのである。

ただ私は新しきを知りたくない。
近所の喫茶店が改装工事をすると知り、
ヤニで真っ茶色の壁も、霞んでるコーヒーのメニューも、ラミネートのメニューも全部好きなのに。

改装してテーブル数を増やせばもっと土日の混雑時にも対応できるしよりいっそう利益が上がるだろう。そういうものだ。味は変わらないだろうしサービス向上のためだ。

全部が全部地下鉄のマークみたいなシンプルでわかりやすいデザインになっていくように思える。
無駄を愛する私には苦しく生きづらい風潮だ。
ロココ王朝の建築士だったら真っ青だろう。

古きをたずね、ずっとそのままでいて欲しい。
古着を売る職業をしてたって、コテコテ70sのオールドファッションなんか売れんのだ。
大好きだった高円寺の古着屋も、
よりカジュアルに、合わせやすく、知らない人みたいになっていた。

ああ苦しい。
もっと言えば、凌雲閣があった時代の日本に行ってみたい。
便利なツールがなければ出会えなかった作品や友達も沢山いるのに、気持ちのベクトルはずっと不可逆な時間の進行と逆方向に向いている。

2019.12.16

一概に全てとは言わないが、
90年〜00年代はなんとなく曇り空のイメージがある。私はそれが好きである。

カッコーの巣の上でとか、キスミントのCMみたいな。キスミントのCMみたいな世界観で生きていたい。ドリブルはできない。

昼休憩で時々行く職場からほど近いビルの中、メイドカフェだらけのテナントの一角に中華料理屋がある。
BGMは有線ではないようで、ラブ・サイケデリコのアルバムが流れている。
「この曲好きなんだよね」と二十歳の部下に言ってみたがキスミントというガムがあったことすら知らないようだ。
時代は令和だ。
そんな部下も先月で辞めた。

ラブ・サイケデリコの歌詞によく出てくる言葉がある。
曖昧、narrow、losers、憂鬱。
口にだしてみてもフニャフニャでもごもごするような語感である。
と言っても詳しいわけでも特筆すべきファンでもなく、ベストアルバム1枚を中学の時なんとなく繰り返し聴いていたくらいなのだが。

バブルもはじけてどんより薄暗い雰囲気が続き、
でもまだ全く希望が無いわけではないんじゃないかという空気があったのではないだろうか。

日本の未来は誰もが羨むイェイイェイウォウウォウなんて曲は令和となった現在ではどう転んでも生まれない気がする。というごくごく浅いJ-POP考。

何が言いたかったのかわからなくなってきた。
曇りの日と吸い込む空気に、思い出がない混ぜになって曖昧で憂鬱でlosersだ。