個人的な日記

個人的な日記です。

ガッカリメソメソすべり台

自由な校風に憧れて入った高校も、店構えに憧れて入社した会社も、好きになった男の子も、最後には緩やかに駄目になっていくことへの軽い絶望と諦めで後にすることになる。

バブル崩壊後に生まれた私は政治に関して最初から期待も憧れも無いが「あぁ、緩やかに終わっていくんだな」という感情だけは似ていた。

政治に関わらず「これからどんどん良くなっていくんじゃないか?」と思えたことは30年の人生を総合的に振り返っても1度もない気がする。今後の30年に期待をしたところでガッカリしてもいつも通りなので未来に関しては何も思わないことにする。

国政に関わる政治家に立候補する人にも生活があるからある程度資本がある人しかなれないし、そうなってくると自民党という組織に属していた方が圧倒的に基盤があって有利だ。次の選挙の頃には中国みたいに事実上の一党独裁という形になっているんじゃないかなどと思ってしまった。まぁ、今とそんなに変わりないか。

小さい子供の頃、親の選挙について行くのが好きだった。勿論何の意味も解っていなかったけど、公民館の匂いと選管の人がガシャンと押すスタンプの音が好きだった。少し大きくなったある時「外で待ってて下さい」と言われて投票所に入れなくなった瞬間のことを今でも覚えている。

自分が有権者になってすぐの頃には両親は選挙に行っていなかった。「誰に入れても変わらないわよ」 と言っていた。それからまた暫く経って私がインボイス制度や各種納税への苦言を呈していると母は「専業主婦は何にも知らないわ」と自嘲し私は悲しかった。もう親が正義で絶対的であった庇護の元からは離れて久しい身でありながら、衝撃と悲しさは後を引いた。

あれから再び投票所に入れる権利を有してからさらに10年、あの公民館は今年取り壊しになった。恐らくPCでデータ管理をするようになってからスタンプの音を聞くことも無いが紙に鉛筆で名前や政党を書くというシステムは未だ健在だ。

ネット投票ができるようになったら便利で素晴らしいことだが、あのクリーム色の紙と鉛筆のなんとも言えない質感を味わえなくなったら少し寂しい。でも投票も集計作業も少しでも楽になって欲しい。

周囲の環境や自分の組織がどういう状況であろうが生物としての人体の活動には何ら関わりがなく、目が覚め、夜に眠り、不可逆な時間の中で1秒毎に少しずつ老い生が進んで行く。徒党を組んでより豊かになったように見える人間が完全な個としてバラバラになることは有り得るのか。子孫を残すため家族という1組織を形成するシステムからして抗えない人間のさがなのだろうか。

健康で生きていることを当たり前とも思っていないけれど、さればこそもう少し絶望とは距離を置いていたい。

苦役列車

辞令で生まれ育った首都圏を200km離れた土地に3年間住んでいた時、仕事はそれなりに忙しく苦労もあり、本気で休職を考えたこともあった。しかし嫌いな実家を離れ仕事柄年末年始も帰らなくて済み、加えてのコロナで合法的に家族と離れていたので悠々自適でもあった。

仕事ではコロナ禍でも自分の担当店舗の業績トップを維持する反面、会社という組織に懐疑的でもあった私は自分の脳みそを自分だけの為に使いたいと思い会社を辞め個人事業主を目指すこととなった。

会社を辞め関東に戻った私は20代の殆どを使い逃げ続けてきた家族と向き合わねばならなくなった。

幼稚園児の時から何となく母が苦手である。
両親共に真面目で堅実で真っ当な人物なのだが、幼稚園の同級生に「お母さんとお父さんどっちが好き?」と聞かれた時「うーん…お母さんは時々怖いからな…」と言ったら「え?!お母さんのことすきじゃないの?!」と食い気味にめちゃくちゃ驚かれてしまい、そうか普通はお母さんのこと大好きなものなのか、と思った記憶がある。

兄弟がおらず核家族で、話し合ったり喧嘩してぶつかったりそういったことがこれまで全く無かったので家族間で言われて嫌だった事などを伝えることがとんでもなく苦手であり、両親自体も不満があっても喧嘩せずお互いこっそり私に愚痴を言ってくるタイプだったので尚更居づらい家になったような気がする。

決定的に母と分かり合えないと思った一件があり、タイミングをみて23歳で実家を出て以来ずっと一人暮らしをしている。逃げるのは楽チンで、このまま会社員で会社の用意してくれた窼と給料で暮らしていればずっと逃げられたのになと思う。

でもきっと人生は苦役列車で、私の場合家族から逃げれば会社員としての苦しみがあり、どんな生き方をしたとしても何がしかの苦役はずっと課せられているのだと、そんな風にふと悟ってしまった。

煌びやかな、素敵な風貌の女優さんもフッと死んでしまうことがあるからきっとどんな人間も課せられた苦役と戦っているのだろう。


半年前に恋人が出来た。私と考え方がよく似ていて、人生の苦しみの中で自分のクリエイティビティや友人を大切にしながら日々苦しんでいる。

自身は苦役列車の人生でなるべく楽しいことをして過ごそうと思っているが、「人生は楽しいからオススメ☆」というにはあまりに無理があるので子供は要らないというか自分のエゴで苦役を背負う新たな魂を増やすことなどできないという共通の考えを持っている。

さっさと結婚したら実家と離れられるのかとフワッと思いつつその時には上記の考えを元に申し訳ないが孫を見せることはできないと伝えなければならないのが苦しい。自分が親ならそんなことを言われたら辛いだろうと思う。

どう転んでも苦しみからは逃げられない。

宝くじをドカンと当てて会社を続ける振りをしながら個人事業を始め、落ち着いた頃に両親に話す計画だったのだがそうはいかなかった。
現実のギリギリの中でバレる嘘をつくほど私は器用ではない。

きっと他人から見れば我儘で、恵まれてる環境に居るのだろうが個々の苦しみは相対的なものではないというのが自論なので許して欲しい。

全ての人間が笑顔のようで色々ある。
本当は全部の苦役から逃げたくて、心がボキボキに折れそうで、生きても死んでも金と迷惑がかかる。

せめてグリーン車とか無いものか。

再編成

近所の手芸屋で毛糸と編み方の本を買った。
きっかけは背もたれ付きの椅子を買ったから。背もたれがあれば何となく編み物だって出来る気がしたのだ。

店主の女性が気さくに話しかけてくれたので、私は編み物が苦手で編み目を間違えてしまっても編めてしまうのを言い訳に、仕上がりが思うようにいかず中々上手くいかない、けどまた始めてみようかと思っているという旨を話した。

「あのね、慣れです。正直!編み目を間違えても編めちゃうけどね、何回も何回もやってるうちにあ、ここが違うなと分かってくるものよ。ただ本はね、解っている人が解っている前提で書いてあるものだから、分からない人にとって全然親切じゃないのよ。慣れたら分かるけどね、だからもし何か分からないことがあったら訊きに来て頂戴。そのままにするんじゃ勿体ないからね。でも洋裁は布を裁ってしまったらもう戻らないけど、編み物は何度でも解いて直せばいいから、無駄にはならないのよ」

私はハッとした。
最近YouTubeとか動画でやり方を学ぶのがとても苦手だと思っていたが、そもそもがパッと見てパッと出来るという思い違いに拠るものだったかもしれない。
絵も、音楽も、分からないことも、スマホ1本で直ぐ調べ直ぐ傍受できるのが当たり前になった時代に私もしっかり毒されている。努力せずに識った気になっている。

家に帰って始めたメリヤス編みの編み目は見事に捻れ、飛ばされ、不格好。解いては直し解いては直しそれでも何か間違えているのをちゃんと修正もせず編み続けたそれは私の内面をそのまま出力したかの様だった。結局また全部解いてラーメンみたいになった毛糸玉を丸めなおし、まあ、またやる気になった時始めれば無駄にはならないしな、なんて思いながらやっぱり納得いかずにまた編み始めたら1日が終わっていた。

何とかして正しく目の揃った長方形のニットができたけれど1玉編んだところで計画性もなく棒がついたまま途方に暮れている。もう一度解きなおして今度はケーブル編みをやってみようか。はたまた更に長く繋げて何かにしようか。

本当はまあ他にも沢山やることはあるのだが、手芸屋さんのあの台詞とこの謎の長方形に割いた1日は無駄ではないと信じたい。何度でも解いて直せばいい、そうでしょう?

Virgin suicide

病める時も健やかなる時も傍に居るのは配偶者でなければならないのか?


どうしようもなく病める時、布団を被って泣いている時、シャワーを浴びながら嗚咽している時、私の居場所は私にしかないと悟った時、私は恋人に連絡出来なかった。

恋人は旅行に行っていた。
楽しい旅行を私の勝手なメンタルのヘラで台無しにすることなんて到底できなかった。


逆を考えると、もし私が楽しい旅行の時に恋人がそのような状況になってしまったら普通に相談して欲しいと思う。身勝手極まりない。恋人関係はエゴで成り立つものなのだろうか。

もし結婚していたり同棲していたら相手をきっと避けては通れないが、その時私はミッドサマーの冒頭のシーンを思い出していた。
クリスチャンはダニーのことを心配するポーズをとりながら負担に思っていた。私はホルガ村に行かねばならぬのか。ちなみに私と恋人は350km離れた所に住んでいる。


煙草を何本吸っても肺も心も満たされることは無く、腹は減っているのに一口でも食べたら吐いてしまいそうだった。


そんな時唯一連絡しようと思ったのは実際に会ったのはたった2回だけの友人だった。以前彼女は自殺を図ろうとしていてSNSで異変を感じた私は電話をかけた。その時は1回しか会ったことが無かった。偽善なのかどうか、よく分からないけど私はその時彼女に死んで欲しくないと思った。死んで楽になるならそれは本人の選んだ道、誰にも止める権利なんてない。ただ電話が繋がった時彼女はボロボロボロボロと泣いていたのを覚えている。それから2年経ち、私も彼女もまだ生きている。

1度助けてあげたから私も助けてもらおうなんてそんな恩着せがましいことを思ったのではないと思いたいが、私の今の気持ちを理解してくれるのは彼女しかいないと思った。明け方4時まで通話して、私はようやく眠ることが出来た。


病める時も健やかなる時も、傍に居るのは配偶者でなければならないのか。

ただそんな時に頼るのが配偶者でないとすると、恋人も友達も全てフラットということになる。人間の勝手に決めたカテゴリーは実に不自由だ。

全ての生き物は個であり、それで完結しているからなんの問題もないのではないかとも思う。

そう思うのに、友達に戻ろうとは何故だか言えないのだ。

旅情の文章

f:id:toumeyningen:20211004145531j:plain蟲師という作品に淡幽という登場人物が出てくる。
一族に受け継がれる病で片足が墨色の彼女が、蟲に関わる物語を紙に書き写す事で少しずつ足に棲む墨色の虫が抜けていくというストーリーだ。

私がこうして月に一度誰も見ていないブログに駄文を綴ったりTwitterでペラペラペラペラと140字の日本語をタップしている感覚は何となくそれに近いところがあると思う。
それとは別で紙の日記も不定期で付けている。自分の中の文字を少しずつ放してやらないと胸も頭も文字だらけで苦しい。でも本を読む。繰り返し入れては出し、入れては出し、文字の排泄を試みる。

出しても出しても頭の中はごちゃついていて文字は永遠に解けない糸くずの塊のようだ。


出会った時からこの人を1ミリも傷つけたくないな、と思ったエゴが肥大してかれと第三者とで会話した時から糸くずの塊はいっそう手に負えないものになってしまった。

他人に対して拘りが無い時の方が心情としてはスッキリしている。でもそんな時人間は「あ~恋したい」とか言うんだよな。愚かな生き物だ。


村田沙耶香の『地球星人』で主人公の考えはこうだ。集合住宅は子孫を繁栄させるための人間工場、皆洗脳されていて恋は性行為を疑問なく行う為の麻薬のようなもので、早く洗脳して欲しいのに中々洗脳されなくて困っている。

私は結構簡単に人を好きになるから地球星人だ。
でも妙齢で子孫を残す気がない不良品のポンコツ地球星人。

5歳歳下の従弟妹がそれぞれ親になると聞いて特に感想は無いがもう何年も行っていない親戚の集まりに行く足は一層遠のき、何をしているかわからない謎の親戚ポジションを確固たるものにしようという意思だけが湧いた。まだ見ぬ甥か姪にとってその認識は深まることだろう。


旅に出たい。


先日新版画派の川瀬巴水の展示を見に行ってそうだ、私は旅に出ないと行けないのだ、と思った。
川瀬巴水の版画はすごい。その当時の写真をみるよりその時の風景、温度、日差し、時間、全てがわかる。まるで見ている人がそこにいるかと錯覚するように。風景の切り取り方が絵葉書然としていないところも良い。

日本全国を旅した彼の作品に私が高校生の頃よくほとりを歩いたさいたまの見沼代用水があって感動した。地味すぎる。

戦前は東京の風景を描いていた巴水は戦後の急激な復興に描くべき風景を失い旅に出たのだという。

私はニョキニョキと天に向かって伸びる人間工場を横目に、どんな風景なら巴水先生が描いてくださるだろうかと住宅街を歩く。静かな神社の木陰に、古い鄙びた木造の家を覆う叢に。

「私はやはり静かな、しみゞゝとした世界が良い。雪もそんな感じのものは心を惹く。静かなもの、うらびたもの、うら寂びたものーー私の世界はこゝにあると一応申せよう(川瀬巴水)」


私の世界は何処にあるのだろうか。
きっとウロウロと移動しながら、解けない文字のくずを時々放ちながら、ああここにあるなと思う日がいつかは来るのだろうか。

開封後はお早めに

好きの反対は無関心、嫌いな人間のことは考えなければ良い。
頭でそう分かっていてもそうは行かないのが人間のさがか。

さほどやり取りがない人間に少し嫌いなところがあったとして、会っていない間にその部分だけが抽出、また増幅され気がついたら心のビーカーが憎悪で溢れてしまう。
実際に会ってしまえばなんてことは無い、普通に会話も出来るし相手には相手の苦労があることを瞬時に理解したりもする。

例えそれが肉親であっても、それは変わらない。
コロナを理由に心配している振りをして実家に帰らなくて良いことを都合が良いと思っている。

そして私は多分実家に帰りたくないのを逆手に取られ会社に退職時期を延ばされている。兎に角会社員を辞めたくて堪らない、こんなことなら1度実家に帰ってでもすぐさま辞めてしまえば良かったと思う反面、実家に帰らず新しい賃貸住宅で暮らしていることを心底良かったとも思っている。

私の居場所は私にしかない。


私の心の冷凍庫はうまく冷えない。
思い出したくない思い出を冷凍しているつもりでもいつの間にか解凍され生臭く異臭を放っている。


浅いオタクである私にはあまり心理的地雷というものは無い。
母は、私の乾燥した大地の一辺倒には存在しない、通常なら踏むことのないような複雑な位置にある地雷を踏み抜くのを得意としている。

6年前に踏み抜かれた大きな大きな地雷があったその場所は、一生消えない爆心地となってケロイドにすらならないぐちゃぐちゃな地面をもうそれでいいやと諦めるまでに3年がかかった。そしてそのまま冷凍庫に仕舞っている。

あの日の狭いビジネスホテルで貴女と2人でいた苦しみを思い出して辛いから出来れば狭い私の賃貸住宅に泊まりに来たいなんて言わないで欲しいなんて言えないからずっと庫内温度は高い儘。

どうして私が貴女からの連絡に3回にいっぺんくらいしか返せないのか説明したら泣いちゃうだろうなと思って何も言えないからお互いに苦しい膠着状態がこのままずっと死ぬまで続きそう


7歳の時から話を聞いてほしいって思いながら私はそこで
おかあさんにはなしをするときは
ほんとうにだいじでじゅうようなことだけを
はなさないといけないんだ
と心得てしまったのであなたにどうでもいい話をされるとフリーズしてしまう、20年以上かけて仕返しをしているつもりは無いのに結果そうなってしまっている


嫌な思い出ばっかりが何度も何度もリフレインしてきっと親になんか助けて貰ったことの方が何倍も多い筈なのに、なんと子とは薄情なものか。


良く冷える冷凍庫が欲しい
暖かく燃やすことはとうに諦めてしまっているから

n人ジェンガ

積み木は崩れることなくただ少し困ったようだった。

私もたまには関係性に変化を与えないような優しいやり取りをしようと思ったのに、他人から言われて傷付いたことを日々思い出しながら常に他人に笑っていて欲しいという君の話を聞いていたら私が君に好きと言わずして他に誰がその決意表明を出来るだろうかと思っては心苦しくて一人泣いてしまった。明らかに同情とはちがうのだがなんと形容したらいいのか分からない。

褒められると自分じゃない他の誰かが褒められてるような気持ちになるという。
絶えず頭の中の喧騒のなかで暮らす君に伝えておいて欲しい私のエゴ。きっと伝言につぐ伝言で、きっと存在する芯たる君に正しく伝わったか、分からないけれど。

痛くないプラスチックのバターナイフで未来を切り開きたい