個人的な日記

個人的な日記です。

旅情の文章

f:id:toumeyningen:20211004145531j:plain蟲師という作品に淡幽という登場人物が出てくる。
一族に受け継がれる病で片足が墨色の彼女が、蟲に関わる物語を紙に書き写す事で少しずつ足に棲む墨色の虫が抜けていくというストーリーだ。

私がこうして月に一度誰も見ていないブログに駄文を綴ったりTwitterでペラペラペラペラと140字の日本語をタップしている感覚は何となくそれに近いところがあると思う。
それとは別で紙の日記も不定期で付けている。自分の中の文字を少しずつ放してやらないと胸も頭も文字だらけで苦しい。でも本を読む。繰り返し入れては出し、入れては出し、文字の排泄を試みる。

出しても出しても頭の中はごちゃついていて文字は永遠に解けない糸くずの塊のようだ。


出会った時からこの人を1ミリも傷つけたくないな、と思ったエゴが肥大してかれと第三者とで会話した時から糸くずの塊はいっそう手に負えないものになってしまった。

他人に対して拘りが無い時の方が心情としてはスッキリしている。でもそんな時人間は「あ~恋したい」とか言うんだよな。愚かな生き物だ。


村田沙耶香の『地球星人』で主人公の考えはこうだ。集合住宅は子孫を繁栄させるための人間工場、皆洗脳されていて恋は性行為を疑問なく行う為の麻薬のようなもので、早く洗脳して欲しいのに中々洗脳されなくて困っている。

私は結構簡単に人を好きになるから地球星人だ。
でも妙齢で子孫を残す気がない不良品のポンコツ地球星人。

5歳歳下の従弟妹がそれぞれ親になると聞いて特に感想は無いがもう何年も行っていない親戚の集まりに行く足は一層遠のき、何をしているかわからない謎の親戚ポジションを確固たるものにしようという意思だけが湧いた。まだ見ぬ甥か姪にとってその認識は深まることだろう。


旅に出たい。


先日新版画派の川瀬巴水の展示を見に行ってそうだ、私は旅に出ないと行けないのだ、と思った。
川瀬巴水の版画はすごい。その当時の写真をみるよりその時の風景、温度、日差し、時間、全てがわかる。まるで見ている人がそこにいるかと錯覚するように。風景の切り取り方が絵葉書然としていないところも良い。

日本全国を旅した彼の作品に私が高校生の頃よくほとりを歩いたさいたまの見沼代用水があって感動した。地味すぎる。

戦前は東京の風景を描いていた巴水は戦後の急激な復興に描くべき風景を失い旅に出たのだという。

私はニョキニョキと天に向かって伸びる人間工場を横目に、どんな風景なら巴水先生が描いてくださるだろうかと住宅街を歩く。静かな神社の木陰に、古い鄙びた木造の家を覆う叢に。

「私はやはり静かな、しみゞゝとした世界が良い。雪もそんな感じのものは心を惹く。静かなもの、うらびたもの、うら寂びたものーー私の世界はこゝにあると一応申せよう(川瀬巴水)」


私の世界は何処にあるのだろうか。
きっとウロウロと移動しながら、解けない文字のくずを時々放ちながら、ああここにあるなと思う日がいつかは来るのだろうか。