個人的な日記

個人的な日記です。

妄想

近代以前の人間はもっと日々妄想に溢れていたのではないか、とふと冷蔵庫のありあわせごった煮ラーメンを啜りながら思う。どんぶりに描かれた中国の子供たちが何か言っている。


各方面からバッシングを受けそうだがあらゆる宗教そのものが集団の共通妄想のようなものでできていると思う。一見共通しているようであるけれども、個々に思い描く神や救いのかたちはそれぞれ違っている。


古代エジプトでは魂は心臓に宿り、バーという鳥のような物が死後の太陽の国と実際の肉体(ミイラ)を行き来するという。
魂は心臓に還ると考えられていた。


一方現在の化学では人は脳によって考え、(「魂」を意識することはアニメや漫画以外ではあまりないが)パーソナルな思考、個人が個人たる1番の臓器=脳 というのが一般的。


古代エジプトのミイラ作成のプロセスでは脳は鼻から出して棄てる。察するに1番要らない臓器だったんじゃないかと思う。
ちなみに他の臓器はカノポス壺という別の器に保存していたそう。


当たり前だが時代や地域によって常識や定義は大きく変わる。
科学が発展して全世界の共通認識が増えれば増える程、土着の「妄想」は薄れ、衰退していったのが今現在なんじゃないかと思う。今後ますますそれは加速し、浸透していき、土着のものの淘汰は進んで行くはずだ。


しかしだ、最終的に考え想像するのは1個体の人間なのだから、変わっていないといえば変わっていないのかもしれない。
キリストが磔刑にされて生き返った、復活を祝おうと社会全体が思えば宗教。個人1人で思えば妄想。

ちなみにそれが事実であったかもう確認することはできないので、私は決してキリストの復活が嘘だと思っているわけではない。


何が言いたかったかというと
私が部屋で1人でぬいぐるみや人形の声をきいたり心情を理解していると思うことは別に普通だよな、と思って数学の証明よろしく論理を組み立てごっこしてみただけなんだ。
Q.E.D.